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2009/01/31

痛いぜ

きょう午前2時ごろから足が痛んで1日のたうっていました。

iPodの新しいのが届きました。

それからもう一つ、勘助とあっちゃんが全国デビューします。2月末に発売される『週刊朝日』(3月6日号だそうです) のペットのページに掲載されると、編集部から連絡がありました。ブログを見て下さっている方には、記事も写真も目新しくはありませんが、 お楽しみに。発売間近になったらまたお知らせします。ちなみに原稿料は6000円だそうです。

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2009/01/30

きょう1日

きょうは5時頃一度目を覚まして、それからまた眠ってしまったので9時頃起きだした。繰り返し同じ夢を見ていたような気がする。 ごく弱い雨が降っていて、きのうに続いて暖かい朝である。朝食はご飯、目玉焼き、海苔の佃煮。午前中は特にすることもなく、 ネット友達と雑談。入浴し、昼食は焼きそば。透析に出掛ける前に30分ほど眠ってしまった。 私の携帯電話は目覚ましとして使われることが一番多い。携帯といえば、今度ドコモのmovaという種類が2, 3年のうちに使えなくなるらしい。きのうドコモの販売店に寄って聞いたら、今は機械が25000円くらいするそうだ。 通話料を下げるかわりに、機械の方を高くしているのだろう。まあ、大して使うわけではないから、しばらくこのままにしておこう。

午後から透析。相変わらず、雨は弱く降っている。体重増加は3.6kgで、純増は3.3kgだった。どうにかドライウェイトに戻った。 穿刺は看護師のIさんで、2本目がうまく入らなかった。ただ、 素人目にも入っていないのに強引に透析を始めたためその場所がたちまち腫れ上がって痛かった。ダメならダメで刺し直せばよいのだが、 針がもったいないとでも思ったのだろうか。かくして透析はシングルでおこなった。1本の血管で「出し」も「入れ」もするのである。 私の血管は、東京の地下鉄路線図みたいに入り組んで刺しにくいそうでよく失敗されるが、私は「何本刺してもいいよ」 とスタッフには言ってある。だから、たくさん刺し直しされるのは構わないが刺したところが腫れたり、紫になったりするのは困る。 病院の外に出ると雨は強くなっていた。帰りに見た国道の雨量表示は23mmだったが、おそらく夕方一気に降ったものだろう。

19時帰宅。勘助もあっちゃんも茶の間のこたつにもぐっていて迎えに出てこなかった。夕食は、ご飯、鶏の唐揚げ、刻んだキャベツ。夜、 テレビでサッカープレミアリーグ、エバートン-アーセナル。やらっぱなしだったアーセナルはロスタイム残り1分、 ファンベルシがきれいなシュートを決めて引き分けた。エバートンは勝ち点3が1に、アーセナルは勝ち点0が1になった。サッカーの途中、 階下で大きな音がしたのであわてて見に行くと、食卓の椅子がひっくり返っており、 勘助とあっちゃんがきょとんとした顔で倒れた椅子の背もたれ部分に座っていた。主犯はどっちだかわからないが、 たぶん背もたれの頂部に飛び乗ってバランスを失ったのだろう。

きのうの朝日新聞「ひと」欄に、近藤純正という東北大の教授だった人が出ていた。全国の気象台、測候所、観測所をめぐっているという。 そうした施設の環境が変わっているというのだ。「繰り返し伐採され、手入れされていた(測候所の)周囲の森が放置され高くなっていた。 データを解析すると、その影響で風通しが悪くなり年平均気温が40年で0.25度ほど上がっていた」という。「日だまり効果」というそうだ。 つまり、温暖化が進んでいると言っても、肝心のデータ採取場所の環境が違ってきているのならあまりあてにはできない。気象庁は、 日本の年平均気温は100年で1.1度上がったとしているが、近藤氏の計算だと0.67度だそうだ。 ちゃんとしたデータでちゃんと計算したデータを公開しないで、ただ情緒的に温暖化を叫んでも、エコ商売に利用されるだけだろう。

きょうは写真を撮らなかった。いま、『BS世界のドキュメンタリー 「アメリカ 被曝(ばく)兵士の告発」』を見ている。 核実験に携わったアメリカ軍兵士の証言と、当時の映像。アメリカは原爆を都市に落とせばどういうことになるか熟知していた。 「どんな大型爆弾も爆発から逃れればなんともないが、原子爆弾は違う。放射能からは逃れられない」 「本当に苦しんだのは子どもが生まれてからです。遺伝的な障害が出たのです」。アメリカは広島に投下する前に、 実験に1031個もの原爆を爆発させ、そのたびにアメリカ軍兵士の被曝者が出た。勘助はベッドの上できゅっと丸くなっている。 あっちゃんは茶の間にいるらしい。雨は明日の午前中までの模様。

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2009/01/29

梅の花ひとを送りし後に咲く

きょうは7時45分まで寝ていた。ゆうべも猫たちがもぐり込んで来たが、さほど睡眠の妨げにはならず、 勘助は私の脇の下で丸くなって眠り、あっちゃんはベッドから下りて座布団の上で寝ていた。そういうことを意識している間も、 私は半分眠っていた。よく晴れて暖かい朝である。女房はすでに出掛けていた。何か食べようと階下に行くとおじいさんが何か食べている。 どうしたの? と聞くと「お茶だ」という。推定だが7時少し前には朝食を食べているはずなので、呆れてものも言えなかった。 前に食べたことを忘れるというより、時間経過の感覚が鈍っているのだろう。何か一つのことをしてから、 どれくらい時間が経ったかがわからないのだ。それにしてもよく食べられるものだ。

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9時頃家を出て、山梨県立文学館と美術館に行ってきた。文学館では「直筆の世界」という展示をしていた。 飯田龍太や井伏鱒二といった人たちの色紙や書簡など。会津八一のはがきもあってとても味わい深いのだがさっぱり読めなかった。 龍太は平成に入ってからの書簡でも歴史的仮名遣いだった。肉筆というのはなにかしら迫ってくるものがある。 読めるか読めないかというのは問題でない、つまり「意味」はあまり問題でない。美術館では今度、いわゆるバルビゾン派の絵画を展示する 「ミレー館」というのが出来たのでそれを見てきた。山梨県立美術館は、バルビゾン派の絵画の収集では今や日本随一だそうで、見応えもある。 当初はそんなつもりじゃなかったのだけれど、看板の一つにミレーの「種蒔く人」を置いたらそれに人気が集まったので、いつのまにか 「バルビゾン派の美術館」ということになった。つまり、見に来た人が美術館の方向性を決めたということで、それはそれで大したものだと思う。 もちろん、県立であるから、小学生の絵画展なども開催している。 私が初めてこの美術館へ行ったのは小学校1年の息子が描いた絵が県のコンクールで入選した時で、にわとりの絵であった。

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梅の花ひとを送りし後に咲く (nabesan)

昼食はマクドナルド、チーズバーガーセット、610円。運転しながら食べた。帰宅後、猫の世話、本を読む、洗濯物を取り込む。 この前おばあさんが亡くなった隣家の梅畑で今年初めての花が咲いた。きょうは三月中旬から下旬の暖かさだったという。夕食は、うどん。 夜、 サッカープレミアリーグ、ウェストプロミッチ-マンチェスターU、マンUのシュート練習みたいだった。0-5だった。

そういえば、きょう朝食の時、パンを切るため包丁を使って片づける時、ガス台の後ろに取り落としてしまった。 帰宅して夕食の支度を始めた女房が怒ること怒ること。うちには包丁が1本しかないとは思わなかったので大したことではないと思っていた。 ガス台の上に乗り、菜箸を使ってどうにか拾い上げたが、かなり難儀した。

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2009/01/28

痛みある夜を猫といる炬燵かな

きょうは6時半頃起床。2時頃には勘助が私の右腕にあごを乗せて寝ており、次にあっちゃんがタンスの上から飛び降りて、 それから布団にもぐり込んできた。私に、というより勘助に甘えている。それでも私はすぐ寝直すことができた。久しぶりにいい目覚めだった。 朝食はご飯、炒めた豚肉、卵焼き。女房が弁当を持って行くので、おかずの残り。

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8時ごろから「富士川クラフトパーク」へ行く。青空は広がっているのだが、雲がちょうど太陽を隠すように出ているので空気が冷たい。 45分くらい歩いた。帰宅してパソコンを点けたら変になった。突然画面が真っ暗になり、一切反応しなくなった。しかし、 電源の緑のランプは点灯しており、電源コードを抜いても消えず、ファンが回っていないからキーボード全体が熱を帯びてきた。 どうやら電源関係のトラブルらしいと思って、 発火しても火事にならないようなところへパソコンを持って行って放って置いたら内蔵電池がなくなったらしく電源ランプも消灯した。 それからケーブル類を再接続したら大丈夫だった。新しいのを買わなきゃいかんなあと、 嬉しいようなそうでもないようなことを考えていたのだが頓挫。このパソコンはちょうど7年前ので、 途中メモリを増やした以外はほとんどオリジナルのままである。ちょっとした高齢パソコン。昼食は食パン1枚、ジャム、マーガリン、牛乳。

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午後から透析。本日の体重増加は4.3kgで、300g残した。まあ、金曜日に清算出来るだろう。穿刺はF先生で2本。 透析中はテレビを見たり眠ったりした。まあ、平日の午後に面白いテレビもない。途中あちこち痒くなった。三奈さんは休みで、 恵子さんに薬を塗ってもらう。左手は動かせないから右手が痒くなるとどうしようもないのである。痒み止めを出してくれるように頼んだ。 終了前から足が痛み出した。左足、親指。カロナールをもらって飲んだ。19時帰宅。夕食は、ご飯、コロッケ、鍋(豆腐、ホタテ貝、 糸コンニャク、白菜)。

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変な格好で勘助(左)に甘えるあっちゃん(右)。あっちゃんはご覧の通り目をつむって眠っている(はず)。勘助の、 しょうがないなあというぼやきが聞こえてきそうだ。夜になっても痛みは続いているが、それほどひどくはない。 時々ファンヒーターの前に足を出してあぶっている。天気予報が下り坂なのでそのせいだと思う。

痛みある夜を猫といる炬燵かな (nabesan)

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2009/01/27

きょう1日

ゆうべは透析から帰って、夕食のあとすぐ横になり一休みと思っていたら本格的に眠ってしまった。23時頃、 左足の親指に強いしびれのような痛みが出て目を覚まし、薬(ロキソニンとレンドルミン)を飲んで、0時頃にはまた寝たが、 今度は1時半頃から勘助とあっちゃんに起こされた。勘助は私の腕を枕にして寝ているが、 あっちゃんが枕元のタンスの上から顔の横5cmの所へ飛び降りてきたりする。この時は3時半頃まで起きていて、 けさは結局9時過ぎまで寝ていた。もう日は高い。この数日、どうも睡眠がめちゃくちゃである。朝食は菓子パン1個、牛乳。

10時頃家を出て、書類を持って家から車で40分ほどの役所(旧福祉事務所)へ行ってきた。ガソリン代の補助申請手続き。 山梨県の身体障害者は年に24000円ガソリン代の補助がもらえる。受付の人はなかなか美人だった。この制度は山梨だけだが、人口の少ない (ということは障害者も少ない)自治体ならではだろう。そういえば、障害者を「障がい者」と表記しているのを時々見かけるが、 当人としての私はこの表記が嫌である。いかにもとってつけたようで字面も悪すぎる。小学校低学年の作文のようだ。

帰宅して昼食。電子レンジで温める「キムチチャーハン」。あまりうまいものではなかった。午後、洗濯物を取り込む、 猫関係の世話をする、以外は寝ころんで本を読んだ。またこのごろ、活字を追いかけるのが楽しくなった。夕食はカップラーメン、 アンドーナツ1個。食後少し眠った。いつの間にか勘助とあっちゃんが来ていて、私が座る座布団の上で一緒に丸くなっていた。

21時15分。テレビも点けずぼんやりしている。NHKのニュースは今の二人がキャスターになってから全く見る気がしなくなった。 3月一杯で替わってくれないだろうか。どっちみち原稿を読むだけなんだから男性もアナウンサーでいいと思うのだが。 原稿を読んでいるのにあたかも自分の感性で喋っているように見せようとするのがとても嫌み。できの悪いキムチみたいである。この際、 安住紳一郎でもTBSから略奪してきたらどうか。

どちらかというと、という話だが、あっちゃんは女房派、勘助は私派である。きょう夕方、女房が洗濯物を畳んでいると、見よ、 あっちゃんがトコトコと女房の膝の上に行き丸くなるではないか。私が感心すると女房はわざとらしく「あら、いつもそうよ」と言う。 その代わり、勘助が女房の布団にもぐり込んでいくことはない。

今夜は眠れるだろうか。猫次第である。そういえば、「世界不思議発見」によると、カンボジアでは十二支のうちの4番目(日本では卯年) は「猫年」であるという。静かな、冷え込む夜である。

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2009/01/26

気合いの入らぬ更新

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けさは2時頃に目が覚めた。手の指が痒くて仕方がないので、水道の水でじゃあじゃあ洗って冷やして、 少し湿った状態でウレパールを塗った。眠る薬(ロヒプノール)を飲んだ。3時頃には眠れた。で、 そんな時間に起き出してごそごそやっていたことと、薬のせいで起きられず、結局起床は9時。朝食は食パン1枚、マーガリン、紅茶。食後すぐ 「富士川クラフトパーク」へ行った。きょうは階段も使ったが体が不安定で怖かった。久しぶりにきれいな冬空が広がった。 空気が澄んで乾いているので、上空を横切っていく旅客機の尾翼の色がよく見えた。空気はとても冷たく毛糸の帽子で耳を覆っていた。 公園で写真は撮ったのだが、なぜかきょうは手ぶれが多かった。木によりかかってしっかり体を固定したり、 しゃがみ込んで撮ったものもぶれている。やはり、バランスの問題だ。昼食は菓子パン1個、牛乳。

午後、テレビで大阪国際女子マラソン。渋井陽子が完璧な試合をして勝った。女子マラソンは復活の予感。ついでながら、2位の赤羽、 3位の原まで全員栃木県の出身。特に赤羽は真岡女子高の出身で、私は真岡高校(男子校)の出身。おそらく、 彼女の高校時代の指導者は私の1年後輩。彼女は私の実家のある町の隣町の出身だが、私の町には「赤羽(あかばね)」という地名がある。なお、 結婚しているが婿養子なので「赤羽」に旧姓はない。

 マラソンのあと、15時から17時近くまで眠ってしまった。勘助もあっちゃんも私の布団の上で寝ていた。 夕食は焼きうどん、餃子。夜、本を読んでいたらまた眠くなった。ベッドに寄りかかったままでうつらうつらして過ごす。 本の文字を追っていると、白い紙の上になんだか黒っぽいものが見えて読みにくい。眼科に行った方がいいかな。

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(「富士川ふるさと工芸館」内のガラス工房にあるランプ。飯島愛の時にも使ったがこれはきょう撮ったもの)

22時からテレビ、ETV特集。最近見つかった沖縄戦で生き残った女性たちの証言を録音したテープを軸にしたドキュメント。やはり、 日本軍がいかにひどい集団だったかよくわかる。とはいえ、彼らもまたひどい目にあっていたことも証言された。 戦争のことは繰り返し繰り返し放送されなければならないが、そうなるとNHKが頼りになる。受信料は払うべきである。あれれ、 日付が変わってしまった。今夜はあっちゃんも勘助も女房の方。また明け方にはこっちへ来るだろう。本日は(も?)、 気合いの入っていない更新だな。

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2009/01/24

敗戦の棋士の背丸く冬茜

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けさも4時頃目を覚ましてしまった。ゆうべはあっちゃんと一緒に寝て、そのうち勘助もやってきた。 そのせいでぐっすりは眠れていないのに寝直すことが出来ず、しょうがなくて本を読んだりしていた。そういえば、きのう中谷巌の本を 『資本主義はなぜ崩壊したのか』と書いたような気がする。正しくは「自壊したのか」である。 気温が下がることを恐れていたのだがそれほどではなく、ファンヒーターを点けたり消したりしていた。朝食はサンドイッチ (ベーコンとかレタスとか)、牛乳。しばらく歩いていなかったので、8時頃から「富士川クラフトパーク」に行った。 歩き出すと雲が太陽を遮り寒かった。女房が、閉店したアルバイト先のコンビニで50パーセント引き(彼女はこの言葉に極端に弱い) になっていた毛糸の帽子をくれたのでそれを被った。体のバランスが悪く転倒しそうなので階段は避けて1時間近く、時々写真を撮りながら、 極めてゆっくり歩いた。安全第一・傑作第二。 

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これはやっぱり梅なのだろうか。木が違うような感じなんだけれど。やっぱりアンズかなあ。帰宅して、 部屋に閉じこめていた猫たちを出した。勘助、先に立って台所に行き、煮干しをしまってある冷蔵庫の前で座っている。 2匹の煮干しをガツガツ食べて一応満足した様子。あっちゃんはあまり煮干しを食べない。猫のくせにまたいで行ってしまうことさえある。 その後、私は彼らのトイレの掃除をして、本を読む。猫たちは私のベッドの上で「寝子」になっていた。

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向かって左があっちゃん、右勘助。そういえば、しばらく登場しないヒヨリとヒナはきのう保育園のお誕生会があって、 「ステージの上で名前や誕生日を言ったり質問に答えたりできました☆」という写真付きのメールがあいちゃんから届いた。 20日に4歳になった。うちでは不二家のケーキを頼んだそうで、二人がチョコレートは嫌とか生クリームは嫌とか生意気を言うので 「いちごタルト」とかにしたとのこと。まったく、双子だと生意気も倍になる。 あいちゃんが産休に入って家にいるのでこちらにはあまり来なくなった。昼食に焼きそばパン(コンビニ)を食べた。

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午後、ネット友達と雑談。本を読む。パソコンで将棋を指して敗戦。無料でダウンロードしたソフトに負けるなんて。それも「一手戻る」 という機能(つまり「待った」)を2回も使ってである。ただ、ソフトの偉いところは勝っても得意げに講釈しないところで、 ×をポンと押せば目の前から消えてくれる。

敗戦の棋士の背丸く冬茜 (nabesan)

女房は午後隣町へ荒木由美子(湯原昌幸の奥さん)の講演を聞きに行ってきた。 彼女は23歳から20年にわたって認知症の義母の介護をしたという。涙あり笑いありのいい話だったそうだ。ただ、会場は7分の入りで、 多くが高齢者だったそうだ。このあたりでも、老老介護は多い。湯原・荒木夫妻は山梨のローカル局にレギュラー番組がある。

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ね、梅の木には見えないよねえ。夜、集落の役員会。私は役員ではないが前区長と言うことで呼ばれた。いわば、 顧問というか参与というかそんな感じ。来年度の区長(自治会長)をどうしようかという会議。結局一度断られた人に押しつける形になった。

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2009/01/23

午後から夜

ネット友達と雑談していたら、10時頃に日が差し始めた。ゆうべの睡眠が十分でなかったので眠くなり、 10時40分から11時半まで眠った。あっちゃんも勘助も布団の上でそれぞれ丸くなっていた。それから昼食。きのうの親子丼。午後から透析。 体重増加は4.3kgで、結局200g残した。穿刺は美奈さんが来て1本失敗、3本刺した。「美奈」から「三奈」に改名するんだな、 と言ったら少しは受けた。透析中は主にテレビ。相撲が終わらないのでつまらない。iPodは壊れたようで、 ショックを与えても音が出なかった。新しいのは買えないから、オークションでも見てみるか。

家を出るのを早めて図書館に寄った。2冊借りた。『資本主義はなぜ崩壊したのか』(中谷巌、集英社)、『華族たちの昭和史』 (保阪正康、毎日新聞社)。中谷という人は、構造改革の急先鋒だった人で、現在の日本を作った戦犯の一人だが、いけしゃあしゃあと 「懺悔の本」を出してきたということ。序章で彼はグローバル資本主義の本質的欠陥として次の3点を列挙している。

一、世界金融経済の大きな不安定要素となる。
二、格差拡大を生む「格差拡大機能」を内包し、その結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を生み出す。
三、地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となっている。

今頃何を言ってるんだ、分かっていたのなら早く言え。学者というのはこんなものなんだなあ。まあ、「懺悔」 してるんだから聞いてやろうじゃないの、というわけで、この本の読者は小さな窓の向こうにいる神父である。保阪の本は「昭和史の大河を往く」 というシリーズものの6冊目。

19時15分帰宅。あっちゃんは女房に抱かれ、勘助は大黒柱の横にちんまり座って出迎えてくれた。夕食はチキンカツカレー(コンビニ) 。女房が長いことアルバイトに行っていたコンビニが今日で閉店したのでもらってきたらしい。夜、横になってしばらく休んだ。 NHKBSで歌謡曲。沢田知可子「会いたい・・・」は財津和夫の曲だった。あっちゃんは私のベッドの上で寝ている。 勘助は女房の方にいるようだ。手のかかる人間を分担して受け持っているわけだ。

しばらく歩いていないし写真も撮っていない。明日は行ってこよう。

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朝の状況

今は23日、6時30分になるところで、目覚めてから2時間になる。特に猫に起こされたわけではなく、怖い夢を見たわけでもなく、 寝付いてから4時間半で起きだした。階下へ行ったらオロナミンCがあったので飲んだ。後味を消すために水も飲んだ。『旅する力』 を4分の3まで読んだ。雨は、今と正反対の季節の梅雨時のようにダラダラと降り続いている。 猫たちは部屋に閉じこめられたが別に不平を言っている様子はない。古い毛布を何枚も重ね掛けした台の上に「二人」 でくっついて寝ているのだろう。隣家の犬が吠えている。いつもなら主が散歩に連れ出す時間なのだ。台所から、食器が触れあう音がする。 もちろん、使用は深夜電力適用時間内と決められている洗濯機もうなりを上げている。西側の窓が青白く明るくなって、一瞬鳥が鳴き交わす。 相変わらず、ポツリポツリと雨だれの音。ファンヒーターを「標準」のところで点けているので室温は21度になった。のどがかわいた。

朝食。切り餅(市販品)2個、大根とイカの煮物、牛乳。餅は海苔が見つからないのでマーガリンをつけて食べた。 煮物の方はもう3日くらい煮たり冷ましたりを繰り返しているからとてもおいしかった。しっかり味が入ったというより、 煮汁と一体化した大根は、慎重に取り扱わないとほろりと崩れるが、かすかな苦みは残っている。餅にマーガリンをつけるのは以前から時々やる。 焼けた餅を皿に置いてマーガリンを大きくすくって乗せる。すると熱いからマーガリンは溶けるが、それをつけて食べる。 西洋料理で食べ終わった一皿に残ったソースをパンにつけて食べるような感じ。もちろん、優雅な雰囲気ではなく、 女房が大声でおじいさんに着替えの順番を指図するのを聞きながら食べる。餅を入れてある冷蔵庫の引き出しを開けたら、 隅の方にみかんを1個発見。この冬、我が家の最後のみかんは私のものとなった。

朝食を終えて二階に戻り、すぐ雨戸を開けた。向かい側の山は低い雲に包まれている。雲は大小のかたまりで、 とてもゆっくり富士川の下流方向に移動している。明るくなって、この集落はどこもかしこも濡れているのがわかる。 隣家の瓦屋根も暮れに形良く整えられた松も電話の引き込み線もみんな濡れている。雨は止んでいるともまだ残っているともいえる状態。 犬が吠えるのをやめたので何の物音も聞こえない。時々、女房の足音、おじいさんに話しかける声。部屋の出入り口の障子は、一ますだけ、 縦25cm、横15cm程度紙を貼らないであって、目的は猫たちの出入り口だが、私が外を見るときの小さな窓でもある。隣家の屋根の一部、 二本の電話線、それからずっと遠くの山影とその前の雲が見える。その山を越したところにはひとつ集落があり、 そこからまたそんなに高くない山を越すと富士山の麓である。当然、富士山を越すと海になる。

私は捕らえられ拘束されている。その小さな窓は今や「窓口」とも言える。看守が最小限の食事をぞんざいに差し入れてくるのも、 裁判や刑の執行の日程について知らせてくるのも、その窓からである。はじめのうち、私はさまざまなことを考えていた。 だが今は三種類の空想が頭の中をゆったりと巡るばかりだ。ひとつは、母のこと。彼女の不運を思って涙する。ひとつは、 その肌に触れたことのある何人かの女たち。私が信頼を勝ち得ることが出来なかった女たち。最後に、 成功する可能性がないではなかった若い日の私自身のこと。特に、最後に想像することは自分自身の精神を立ち直らせるために重要である。 私がなんらかの成功を収めたとして、母の指には絆創膏ではなく指輪を光らせ、女には物質的、精神的、 フィジカル的に十分な充足と安堵を与えられる自分を想像することで、実際の来し方を思ってうちひしがれた私は立ち上がる。 何度もそういう空想を繰り返すと、空想は疑似現実となって、私は妙に陽気になり、 次に看守が来たときに笑わせるためのジョークを考えたりもする。だがどうだ、どんなにリアルに、どんなに細部まで空想したとしても、 それは砂で作られた彫刻のようなもので、ちょっとした風雨(足の痛みとか、頭痛とか)によってすぐに崩れる。で、私は始めからやりなおす。 私の援助によって、高級温泉旅館で海を見ながらくつろぐ母を、一部の隙もなく高級ブランドの品物で美しい肢体をつつみ、 友人とお茶を楽しむために外出する妻を想像する。私の周りは、小さな窓を除いてコンクリートの壁である。その壁を突き崩したり、 小さな窓を器用に体をくねらせてすり抜けようとする意欲はもうない。

燃えるゴミの収集日である。女房が大きな袋を持って私の部屋にやってきて、ゴミを入れてあったコンビニのレジ袋を回収していった。 雨は上がった様子。雲に覆われてはいるが空が高くなった。

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2009/01/22

冬の雨猫は再び丸まれり 

ゆうべは寝付けないで2時近くまで起きていたが、一度眠ってしまうと今度は目覚めず、起きたら10時だった。 こういう生活のリズムが出来てしまうとまずいなあ。食事は朝昼兼用とした。いわゆるブランチ。ゆうべのコロッケ2個、食パン1枚、 牛乳といったところ。きのうの「ためしてガッテン」でちゃんと食べるダイエットをやっていたので、それを参考に食べる順番を考えた。 なるほど、夕方まで空腹にならなかった。気のせいかな。午前中、ネット友達と雑談。午後、ガソリンスタンドに行く。 山梨県には障害者に対する自動車の燃料代補助があり、その申請書にハンコをもらった。24000円だから例の給付金の倍であるが、 透析に通うガソリン代がカバー出来ているかどうかといったところ。

帰宅して猫たちと遊ぶ。「旅する力」(沢木耕太郎、新潮社)を読む。みたらし団子を1本食べる。ということをしているうちに日暮れ。 夕食は親子丼。丼ものだと、おかずを少し先に食べてそれから糖質というわけにはいかない。今は19時を回ったところ。 こたつの中にはあっちゃんがいて、足を入れると引っ掻いてくる。はい、すみません、と私は足を引っ込める。 そのうちまた忘れて足に爪を立てられる、ということを繰り返している。雨は止んでいて、湿度を十分に含んだ冷気に包まれている。手許 (というかベッドの上)には『フェルメール論』(小林頼子、八坂書房)も置いてある。買ったら4800円もする立派な本。 現存するフェルメールの全作品(32+4点)が上質に印刷され、詳細に解説されている。例えば「牛乳を注ぐ女」 に描かれるパン籠が乗った机については、

机の手前の縁の長さを一辺とする矩形の机を透視法にのっとって正確に描けば、 ≪牛乳を注ぐ女≫の机の上面はきわめて狭いものにならざるを得ない。・・・(中略)一方、 事物で見えなくなっている机の向こうの縁を一辺とする矩形の机を想定すれば、手前の縁の長さは現状の三倍にはなろう。

といった具合。もしも、画家が「透視法」という技法のしもべであったなら、 女性の魅力的な下半身は机に邪魔されて見えなかったというのだ。絵画の鑑賞とはこういうことなのだろう。私は絵なんてわからないが、 この前東京であったフェルメール展は行ってみたいと思っていた。その大した本のすぐ隣に勘助が眠っている。

今は19時50分。こたつから出てきたあっちゃんとベッドからおりてきた勘助がホットカーペットの上でくっついて寝ている。 女房の部屋で何か物音がすると、勘助はすぐ反応して顔を上げるが、あっちゃんはぴくりともしない。また雨が降り出したのだろうか、 ボトンボトンという音が断続的に聞こえる。それから通過する飛行機の音。私は依然として一度も飛行機に乗ったことがない、 という記録を維持している。それはすなわち、遠くへ行ったことががない、ということでもある。北海道も九州も四国も、 ましてやニュージーランドにもフィレンツェにも行ったことがない。寂しいのは最近「遠くへの憧れ」がなくなってきたということ。 今の生活圏に留まっていればいいじゃん、まあ、 栃木の実家関連で冠婚葬祭があるときに300kmくらい移動するだけの暮らしでいいじゃんと思ってしまう。透析していても旅行は可能で、 腎臓病協議会の機関誌には海外旅行の広告がたくさん掲載されるが、それを見ても憧れることがない。もちろん、 暇は十分あるがお金が不十分という現実認識があってのことだけれど。この「遠くに憧れない症候群」は、 たとえば宝くじが当たったらどうしようと考えるときにさえ旅行が出てこないという顕著な症状がある。

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(横顔があっちゃん) 

勘助とあっちゃんは、消してあるファンヒーターの前で寝ている。あっちゃんは動かないが勘助はしきりに自分の前脚をなめている。 あっちゃんが家に来た当初は毛の色も模様も勘助とほとんど同じだと思っていたが、彼女が大きくなってくると違いがよく分かるようになった。 勘助の胴体の縞模様は黒と白だが、あっちゃんは黒と茶色である。勘助を抱っこするとすぐ噛みついて抵抗するが、 あっちゃんはそういうことがない。私は「ジュルのしっぽ」 の肩越しに猫を見せる写真を一度撮りたいと思っているが、あっちゃんなら実現出来るかも知れない。

冬の雨猫は再び丸まれり (nabesan)

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2009/01/21

この4日、経過報告

3日更新を休みました。

18日。山梨県腎臓病協議会の会議と新年懇親会があって出掛けてきました。約1時間半の道程で、途中運転しながらコーヒーを飲むし、 懇親会は中華料理で、なにしろ全員が透析患者だから食べるのもみんな控えめでテーブルの上にはエビチリだの小籠包が残り、 つい手を出してしまったから体重は増えた。

19日。17日に亡くなった隣家のおばあさんのお通夜だったが透析のため欠礼。息子が代わりに出てくれた。 透析は体重ばかりでなくカリウムも増加しており7.0だった。ダイアライザを水曜から元に戻すことにした。まあ、7. 0なら最近のデータからみて想定できる範囲だが、美奈さんは「7.0」という数字に慌てたのかも知れない。980円と1000円の違いで、 データが6.9だったら「食べ物に気をつけて」くらいで済んだかも知れない。

20日。隣家のおばあさんの葬儀。8時半にホールに集合。特にすることがないので、香典袋を数えたりしていた。一番厳粛な時 (導師の入場)に仕切りのポールにつまづいて転んだ。大きな音、ホールスタッフが私に駆け寄る足音、もちろんポールが倒れる金属音。 まったく痛いより寂しい。膝も打撲と擦過傷で今も痛いが、心も擦りむいた。おばあさんが火葬場に出発したあと、2箇所の葬儀に行った。 腎臓病協議会の関係と「身延まんじゅう」店主のお母さん。98歳だったそうだ。再び元のホールに戻り七日の席。また食べ過ぎた。

21日。朝から体がだるく後頭部が重かったので猫と寝ていた。膝を境目にして勘助は上に、あっちゃんは下に寝ていた。 午後から透析だった。600g残した。iPodがボリュームを調節できなくなってしまったので、 手許にボリューム調整のついたヘッドフォンを買わねば。夕方から雨。暖かい夜。

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2009/01/17

梅が咲いたよおかあさんほらそこに

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きのうは更新できませんでした。それというのも前の夜は足の痛みでほとんど寝ていなかった上に、 きのうはきのうで昼頃になって痛みが治まりかけたと思ったら、透析中にぶりかえしてひどい目にあった。 動けない状態で痛いというのはなかなか大変である。ひどかったのは1時間半くらいだが、4時間が長く長く感じた。 帰宅してしばらくするとまた楽になったので、眠るための薬を2種類飲んで布団に入り、たぶん21時前には眠った。

けさは4時頃勘助が私の胸で寝ていて、その重さで目が覚め、5時すぎに再び眠り、起きたら8時半だった。足の痛みはなくなっていた。 朝食は食パン1枚、マーガリン、ジャム、温めた牛乳。9時半ごろ、歩きに行こうとしたが外に出たら案外寒かったので念のため取りやめて、 ガソリンスタンドに行き少し無駄話をした。ガソリン113円/リットル。

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帰宅したら、隣のおばあさんが亡くなったというので急いで弔問した。数日前にも書いたが、この1週間ほど寝たきりになっていて、 危ない状態だったようだがこんなに早く逝くとは思わなかった。これで私は「おかあさん」と呼ぶ人は誰もいなくなった。89歳、やすらかで、 最初に咲いた梅のように「可愛い」と呼べる顔をしていた。15時から隣保組が集合してお通夜や葬儀について話し合いになった。 ホールでするのでさして手間はかからないようで、私は特段の役割が与えられなかった。何かできることはあるだろうが、この「おかあさん」 の葬送に役割がなく、補欠にまわるのは寂しい。

梅が咲いたよおかあさんほらそこに (nabesan)

話し合いが終わる頃、用事で東京方面にいた住職が駆けつけてきた。すぐに「枕経」と言われる読経が行われた。 私は住職の様子や読経を聞きながら、「ああ、これは伝統行事なのだ」と思っていた。人が亡くなるたびに繰り返され、 受け継がれてきた伝統行事。

私は自分が死んだ後のことは、後の人に全部任せる。値段の張る戒名を付け、坊さんが5人くらいくる大葬式をしても、 人目につかない山奥の林道にうち捨ててもかまわない。ん? 「うっちゃる」というのは「うち捨てる」が変化した言葉なのか。

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それにしても、だ。体調良好は一週間と続かない。困ったものだ。体調の揺れは気持ちの揺れを生む。「先が見えちまった」という場合の 「先」は曖昧模糊とした薄暗がりである。しかし、私には明瞭だ。10年後の私は透析室の隣のベッドで寝ている。その隣には15年後の私。 チマチマ透析して生きながらえる、生きることそのものだけが生きる目的という年月が過ぎていくだけだろう。透析にも(=生きることにも) 飽きがきたぜ、ベイビィ(テレビで矢沢永吉が歌っている)。

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2009/01/15

痛みが出てきてしまった

夕方から足が痛み出した。右の土踏まずの横、足の外側の一番薄くなっているところ。さて、困ったな。というわけで、 集中できないのでブログ記事は書きません。「特命係長只野仁」を見るともなく見ています。

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2009/01/14

紅梅の一枝に朝日差し初めて

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紅梅の一枝に朝日差し初めて (nabesan)

アンズと言っていたのは、どうやら紅梅のようでした。アプリコット・フォームという場所にあったので、 てっきりアンズだと思ってしまいました。きょうは6時45分起床。朝食は食パン1枚、ジャム、温めた牛乳。ゆうべもよく眠り、 途中で勘助とあっちゃんが私の右手を枕にして寝ていてうっすらと目覚めたが、ああ可愛いなと思っただけでまた眠れた。7時45分ごろ 「富士川クラフトパーク」へ出掛ける。約1時間歩いた。帰り、コメリへ寄ってテレビのアンテナソケットを買った。きのう、 息子が大学に入ったとき買った小さなテレビを家へ持ってきたので、それをおじいさんの部屋で使うことにした。 これまでは運動のためもあってテレビを見るときは部屋から茶の間に移動することにしていたのだが、 この前のように転倒して起きあがれない状況が増えてきたので、部屋にテレビを置くことにした。当初は小さいのを新しく買う予定だったが、 息子の物持ちのよさのおかげで出費しないですんだ。というわけで、ゆうべはアンテナの接続をした。茶の間のテレビがメインなので、 そのアンテナを2分配して、おじいさんの部屋と結んだ。いやいや、自分の不器用さは呆れるばかりで、 同軸ケーブルの皮むきにさんざん苦労したし、ソケットを一つだめにした。まあ、映りはよくないがいいだろうということにした。

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昼前、ネット友達としばらく雑談。昼食は、ドーナツ2個、牛乳。写真はきょう透析に出掛ける前の勘助(左)とあっちゃん(右)。 あっちゃんは甘えん坊の妹、勘助は結構包容力のある兄ちゃん。こうしてみると、顔の大きさがずいぶん違う。断っておくが、 いつもこんな風ではない。

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何度か同じような写真を載せたがもう一回。階段の手すりの一番上。魚眼レンズみたいな効果で顔と上半身が伸びてしまった。 写っているのは私の上半身だけである。実際には下は黒ではない。空気は冷たかったがこのように良い天気だった。午後から透析。体重増加は4. 5kg、この前からの純増は3.5kgだった。美奈さんも呆れたのか何も言わぬ。結局600g残った。次回でなんとかなるだろう。 穿刺は美奈さんが来て3本刺した。透析中はほとんど目をつむって音楽を聞いていた。4時間分持って行ったのである。ところで、 透析の終わりにちょっとした問題があった。普通は透析が終わって針が抜かれるとだいたい10分程度止血の時間を取り、 看護師の確認を受けるのだが、私の隣のベッドの人は、それを待たずにさっさと帰ってしまう。 スタッフも全く注意しないからその人はそれで良いことになっていたらしい。で、まあ、それならばということで、 私も10分待たずにさっさとベッドを下りた。恵子さんは困った顔をしていたが、一人の例外を容認すると例外はその一人で済まなくなる、 ということを知らせたつもり。

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19時帰宅。勘助もあっちゃんも迎えに出てこなかった。あっちゃんは小正月の繭玉を落としてボール代わりに追いかけて遊んでいる。 勘助は、さ、煮干しをちょうだい、というふうに冷蔵庫の前に座っていた。夕食はオムライス(コンビニ)、キムチ。 女房がアルバイトに行っているコンビニ(ヤマザキディリーストア)は今月23日で閉店とのこと。 今度中部横断自動車道という道路が出来ることになっていて、そのルートに当たるためらしい。まあ、そんな道路が開通すれば、 国道沿いのコンビニやガソリンスタンドは全滅かも知れない。地元で期待しているのは土建屋ばかりだが、 どっちみち東京から大手ゼネコンが来て、地元の業者はささやかなおこぼれがあるかないかといったところだろう。

(現在アップされていて読める記事が、これでちょうど1000件になりました)。

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2009/01/13

日は未だ向かいの山のはだれ雪

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きのうは透析中から頭痛と足の痛みが両方出てきて、特に最後の一時間は苦しむことになった。 へばった駅伝の選手が最後ヨタヨタしながら中継所へ向かうような感じである。で、どうにか終わって外に出たら相当寒い。 頭痛の他に寒気がしてきた。これはいかん、というわけで、帰宅してご飯を食べ、部屋にある暖房、つまりファンヒーター、ホットカーペット、 布団を全部点けて寝た。薬(ロキソニン、レンドルミン、ロヒプノール)をしこたま飲んだせいかすぐ眠り、5時半まで熟睡した。 猫たちも邪魔しに来なかったようだ。朝も寒く、家中の水道は凍結したようだ。ただ、電気温水器だけは出るので大丈夫だろう。

きのうは(今もだけれど)、おとといおじいさんの重たい体を押したり引いたり持ち上げようとしたせいか腕を始め体中が痛かった。 女房は、私の働きを評価しようとせず、ばかねえ、義姉を呼べば良かったじゃない、という具合である。彼女は、私の働きは決して褒めず、 たとえば洗濯物を取り込んでも、まだ湿っているとか、まずアラを探す。彼女の顕著な短所である。 私は褒められて自分の短所を克服するタイプであるということに、結婚34年、一度も気づいたことがない。

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(これは、コウゾ。漢字だと「楮」で、近くに「楮根」(かぞね)という地名がある)。

というわけで、今は7時15分(きょうの話ね)。空は冷たく晴れて、東南の空にはまだ朝焼けが残っている。 太陽はまだ山の上に来ていないので、幾重にも折り重なる山はまだシルエットである。ところどころ、 つまり木を伐採したばかりのところにはこの間の雪が残っている。内と外の温度差によって曇った窓の外で何か鳥が鳴き交わしている。

日は未だ向かいの山のはだれ雪 (nabesan)

朝食はご飯、外はガリガリ中はパサパサのハンバーグ(昨夜の残り)。8時前から「富士川クラフトパーク」へ行ってきた。 気温は低そうだが風がないのでそれほど寒くはなかった。腕とか脚におとといおじいさんを動かそうとしたための筋 肉痛が残っており、 45分ほど歩いただけだった。「富士川ふるさと工芸館」はきょうあす連休。

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ご覧のように、「富士川ふるさと工芸館」は「道の駅」を名乗っている。普通「駅」というのは年中無休だろうと思うのだがどうだろう。 国道から少し入る上に運営にはやる気が見られないから、ほとんど客はいない。もともと、 クラフトパークもこの施設もこちら方面の出身だった県知事が作ってしまったもので、知事がそういう恣意的なことが出来た時代の遺物である。 たぶん、公園を含めると年間数億の赤字を出し続けているだろう。帰宅後、ネット友達と雑談。昼食はメロンパン、切り餅2個、牛乳。

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午後、富士山の見えるところまで行ってみた。暮れから正月にかけての、雲一つない青空ではない。 山頂に次から次へ雲が寄ってきて戯れているようだった。帰宅後、洗濯物を取り込む。おじいさんが部屋から歩行器にすがってよろよろ出てきた。 どうしたのか聞くと「メシだ」と答える。昼食は11時ちょっと過ぎに食べたはずなのに忘れている。 それから蜜柑を置いてあるところへ行こうとするので怒った。蜜柑箱に手を伸ばしてひっくり返ればアウトなのだが、 本人はそれを自覚していない。そういえば、隣の家のおばあさんが寝たきりになったそうだ。このあたりの習わしで結婚するときには仲人の他に、 若夫婦の面倒を見る「かねつき親」という夫婦がつくのだが、このおばあさん夫婦が私たちの「親分」である。だから、 おばあさんは私を呼びつけにし、私はおばあさんを「おかあさん」と呼ぶ。去年の夏頃までは、何か野菜ができると持ってきてくれたのだが、 急にここのところの寒さが体にこたえてきたらしい。食事も全部ミキサをかけているとのこと。もうすぐ卒寿である。今年の正月は、 隣家へ来るお客が妙に多いと思ったらそういうことだった。病院ではなく自宅で寝ているので、私も見舞いに行くかどうしようかと迷っている。

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あっちゃんの身分証明書用写真。なにしろあっちゃんは落ち着きがないから、 こういうふうにすましてカメラを見てくれることはあまりない。さっき、近所のミヨコさんが自分で作ったコンニャクを持ってきてくれた。 ソフトバンクのCMの「おとうさん」そっくりの犬を連れてきた。ミヨコさんは私と同い年で「エホバの証人」の信者であるが、 生活のためか今は活動していない様子で、普段は宅配便の配達をしている。まだ二十代の後半にお母さんが長患いとなったために結婚せず、 うちのおじいさんと同い年のお父さんと二人で暮らしている。結婚経験がないせいか、うちの女房より若々しく見えるときもある。16時前、 向かい側の山にはまだ日が当たっている。空の色は水色になってきた。

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2009/01/11

少年に隠し事あり花杏

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アンズの花が咲いていた。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の詩が含まれる室生犀星の「小景異情」のその6は次のようである。

あんずよ
花着け
地ぞ早に輝け
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け

きょうは7時半過ぎ起床。朝食は赤飯。8時45分ごろ「富士川クラフトパーク」へ行き45分歩いた。よく晴れて、 風もないので暖かかった。クラフトパークあたりには雪が降らなかったようだった。

少年に隠し事あり花杏 (nabesan)

帰宅してネット友達と雑談。昼食はインスタントラーメン。午後、都道府県対抗女子駅伝。 山梨は1区で4位につけるなど健闘して28位でゴールした。過去最高の順位。

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夕方、17時半頃、おじいさんが茶の間で横たわっているのを発見。なんてこった。テレビで笑点を見ようとした様子だが、 どうして寝てしまったか不明。女房がバイトで留守だったので私が格闘開始。今回分かったこと。彼は畳に座って上体を立てていられない。 彼は腕でほんの少しも自分の体を持ち上げられない、つまりお尻を畳から浮かすことができない。彼は這うこともできない。つまり、 床にお尻をつけてしまったら最後、自力で移動するのがはなはだ困難。お風呂で洗うときの小さな椅子を持ってきて、 懸命にお尻の下に入れたがそこから上には動かない。車のジャッキを持ってきて持ち上げ始めたが滑って失敗。仕方がないので、いざり (漢字だと、躄り)、押し、じりじり動かして、茶の間から彼の部屋まで5メートルほどを2時間かけて移動した。ただ、 ベッドにはどうしても座れない。もうどうしようもないので、床に座らせたまま女房の帰りを待つことにした。 何度か持ち上げることを試みたが重すぎてぴくりとも動かなかった。要するに食べ過ぎて異様に上体が太っているのである。かくして、 私の両腕はパンパンにはって痛み、腰も痛み、膝は笑いという状況である。

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手前あっちゃん、奥勘助。兄妹は相変わらず仲がいいようなそうでもないようなである。 

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2009/01/10

雪降るや山には小猿小猪

ゆうべは透析から帰って、この数日そうであるように一休みのつもりが眠ってしまい、23時半頃目を覚ました。足に痛みが出ていた。 右の親指の付け根あたりに激痛。結局食べたり飲んだりしてしまった。たばこもたくさん吸った。教育テレビをかけたら、 クライバーとバイエルン管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番全曲が放送された。この曲には思い出がある。 脊椎をやっつけ寝たきりだった頃、つまり20歳の頃、おばさんがFMが入るラジオを買ってくれた。 最初にそのラジオから流れてきたのがこの曲で、忘れもしない、オイゲン・ヨッフム(ヨーフムとも表記される)とアムステルダム・ コンセルトヘボウ管弦楽団(今はロイヤル・コンセルトヘボウ)の演奏で、「不滅のアルグレット」 とワーグナーが呼んだ第二楽章が始まるところだった。まだ病院の中にいたから、その後社会に出て味わうことになる絶望感とは別の、 なんだか正体がはっきりしない絶望感を抱いて、家族や看護師や医師に当たり散らして荒れていた時期だった。 第二楽章がはじまってしばらくすると、オーボエが第一主題の旋律を歌い出す。それが私にすうっと入ってきて、好きな言葉ではないが「癒して」 くれた。それから、それはしばしば口ずさむメロディになった。若い私を励ましたのは具体的な誰かの言葉ではなく、抽象的な音楽だった。 だから、本当に傷つき痛んでいる人を励ます力が言葉にあるとは今も思わない。ちなみに、若い頃はひそかに、大指揮者を「ヨッフムおじさん」 と呼んでいた。私が知った後も何度か来日しているが、生演奏は聴くことができなかった。

IMG_5168 かくして、1時になったのは覚えている。それから少し眠り、 5時頃だったかまたしても激痛で目が覚めた。とはいえ、ファンヒーターの吹き出し口近くに患部を持って行って、 温めるというより熱したり、渾身の力で足をさすったり、女房に八つ当たりしても、痛いものは痛いし、第一疲れてくる。 危なっかしいと思うだろうが、車に乗ることにした。気持ちが運転の方に向くので、痛みの方は緩和していることがある。 たばこが少なくなっていたのでローソンまで行った。ポテトチップス、コーヒー(写真)をついでに買った。 帰る頃から雲が切れて青空が広がり始め、真っ白く山々をくるんでいた霧も晴れ始めた。ゆうべも飲み食いしたし、 朝からコーヒーとポテトチップスだし、体重管理の方はだめである。

きのうは、4時頃に目を覚ましたときは雨音がしたので安心して寝直したら、起床したときには雪だった。 女房は慌ててタイヤを交換しにスタンドへ行った。私も後から行った。ついでに給油。114円。透析に行くときはまだ雪で、 家の出入り口を雪かきしてからでかけた。少し腰を痛めた。うちから町道へ出るところは5メートルほど急な登りになっているため、 2~3cm積もるともう滑ってしまう。結局、半日は雪、半日というかきょうの夜半まで弱い雨、という天気だった。 足の痛みも天候と無関係ではない。

きのうの透析。体重増加は3.2kg、純増は3.0kg。危ないところだったがどうにかドライ・ウェイトまでもっていった。 穿刺は看護師のWさんが来て2本で順調。持って行った音楽。冬の旅(ハンス・ホッター盤)、ブラームス・交響曲4番、ベートーヴェン・ バイオリン協奏曲。ベートーヴェンは100円ショップで買ったCD。メニューインとフルトヴェングラーの組み合わせで、 1940年代の録音らしい(らしい、というのは著作権の関係で録音データが明記されていないため)。圧倒的な名演、だと私は思う。 透析後半から足が少し痛んだ。

で、ここからまたきょう(10日)の話。天候は9時頃から回復してきた。それとともに足の痛みも消えてきたので、 また車に乗って出掛けた。別に行き先は決めていなかったが、5000円ほどお金を隠し持っていたので、 本当に久しぶりにパチンコ屋に行ってみた。4000円やって手も足も出なかった。皆さんに忠告する、パチンコなんてあなた、損するだけ、 お金をドブに捨てるようなものです。12時帰宅。ヒヨリとヒナが来ていたが、また足に痛みが出てきてほとんど遊ばなかった。昼食は焼きそば。 午後、高校サッカーを見ながら少し眠る。高校サッカーはちょっとレベルが下がったと思う。学校の部活としてではなく、 クラブチームに行く高校生が増えたからだろう。高校選手権はその世代のチャンピオンを決める大会ではなくなった。今は、 高校よりJクラブのユースの方が強い。夕食は赤飯、シチュー。

雪降るや山には小猿小猪 (nabesan)

勘助もあっちゃんも今は女房の方でテレビのバラエティを見ているらしい。あっちゃんはさっきまで私の方のこたつにいたのだが、 うっかり蹴飛ばしたらすねて向こうへ行ってしまった。きょうは外へは出たがカメラが電池切れで写真は撮れなかった。 100円ショップのアルカリ電池はダメである。メーカーはサンヨーになっていたんだけれど。

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(靴下をくわえてきて、得意そうなあっちゃん) 

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2009/01/08

初雪は子を驚かすために降る

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きょうは7時前に起床した。けさも猫たちは私のベッドには来なかった。 東南の方角にはまだ朝焼けの赤みが残っていて群雲を淡く染めている。 太陽が出てくるはずの山の上にひとかたまりになっている雲は明るく輝きだした。朝食は焼きそば(昨夜の残り)。8時過ぎから 「富士川クラフトパーク」へ出掛けた。幾筋もの飛行機雲が東から西へ延びている。出来たばかりの飛行機雲はきりっとしているが、 時間が少し経つと幅が広くなり、いつの間にか普通の雲と見分け がつかなくなる。

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約50分歩いた。広い公園にはものの見事に誰もいない。「道の駅」を称している「富士川ふるさと工芸館」もきのうきょうと連休である。 やる気がないことおびただしい。帰宅してネット友達としばらく雑談。昼食は、シュガーロールパン3個、コーヒー。コーヒーは 「MAXIM 大人のカフェラテ ほろにがティスト」(味の素ゼネラルフーズ株式会社、製造は古谷乳業株式会社成田工場)、158円。 これはなかなかおいしいので今はまっている。午後、思い立って図書館に行き、『真実真正日記』(町田康、講談社)を借りてきた。帰宅後、 これも思い立ってチャットルームを開いた。瀬戸内寂聴の法話を流したがあまり人は来なかったようだ。「ようだ」というのは、 無責任なことに16時20分頃から1時間、下半身をこたつにもぐり込ませて眠ってしまったからである。17時半終了。夕食は煮込みうどん、 レバー。

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向かって左が勘助、右があっちゃん。「二人」は相変わらず元気である。窓際に置いてある段ボール箱は最初水平だったのだが、 彼らがいたずらしているうちに斜めになってしまって、そうしたらかえって遊び場として気に入っているようだ。意識しているのかいないのか、 時々、「さあ写真を撮って」というようなポーズを取ってくれる。なぜか(というより、私が暇だからだが) 彼らのうんちの片付けは私の役目になっている。なるほど「二人」分! と感心するほど量が多い。作業をしている間、 勘助はキャットタワーの2段目あたりに座って監督しているが、あっちゃんは猫砂をふるい落とすスコップにじゃれついてくる。 ご飯は二人とも同じものだが、皿は一応別にしている。あっちゃんの皿はたいていからっぽになっているし、 水もあっちゃんの方がたくさん飲むようだ。育ち盛りということだろう。  

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きょうは水分を摂りすぎた。これから明日透析室の秤に乗るまでどれだけ抑えられるかが問題。 あっちゃんだけがオフになっているファンヒーターの前でグルーミング中である。さっきまで、 ファンヒーターの注意書きを見ているような格好をしていたのでおかしかった。勘助はさっき女房が何かで下へ行ったときに、 後を追いかけてそれっきりである。で、私も下へ行ってきた。約100mlの牛乳を電子レンジで1分40秒温めて10g(だと思う) のスティック砂糖を入れてかき混ぜた。温めて甘くした牛乳なんてすごく贅沢な気がするけれども、 残念ながら低脂肪牛乳のためトロンとした感じがない。ついでに冷蔵庫にあった「とろけるシュークリーム」を持ってきた。あ、 だったら牛乳を甘くするんじゃなかった。いまそのシュークリームを一口食べた。「とろける」と言っている以上、開口部を作って下を向けた時、 中のカスタードクリームが、トロロンと流動し始めるのかと思ったが、そんなことはなかった。クリームの量はたっぷりで、 二口目で鼻の頭に付着した。もちろん口の周りにも。リポビタンDのおまけについていたティッシュが活躍した。 ちなみにこのディッシュの箱には、世界16カ国で売られているリポビタンの写真が印刷されている。どうやら最後に「D」 が付くのは日本だけのようだ。中国語では「力保健」であり、ベトナムとイギリスでは缶入りである。中近東の産油国でも売られている。 ブルネイ・ダルサラームでも。明日は雪になるかも知れないとの予報だがどうだろうか。雪の前にしては暖かで、 消してあるファンヒーターは室温を13度と表示している。そういえば、タイヤも交換してない。私はこの冬は降らないと賭けたのである。 もし降れば初雪。

初雪は子を驚かすために降る (nabesan)

あっちゃん。こたつに入りたくなったらしく、鼻先で私の腰のあたりをツンツンする。さあ、どうぞ。勘助。 私のすぐ後ろで四肢を投げ出すようにして寝ている。いつもと同じ夜である。女房の部屋からは「渡る世間は鬼ばかり」の音声が聞こえてくる。 ものすごく口数が多いドラマだが、セリフの中にこれまでのあらすじを含ませているからだろう。 途中で席を立って戻っても話がわかるように出来ている。それにしても、ずーっとセリフが続くので聞いているだけでおかしくなってしまう。

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2009/01/07

冬の夜を猫を撫でたり叱ったり

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きょうは7時半頃起床。ゆうべは0時頃に眠ったので久しぶりに7時間以上連続睡眠。 眠るときには勘助もあっちゃんも私の部屋にいたのだがベッドには上がってこなかった。えらいぞ、勘助・あっちゃん。朝食は食パン1枚、 マーガリン、紅茶。8時頃「富士川クラフトパーク」へ歩きに行った。太陽がある方向に雲があって、日が差したり翳ったりしている。 時々風が吹き抜けて寒かった。左足首に痛みがあったので階段を避け、平らな舗装の上を50分歩いた。 この痛みはたまに出るが心配することはない。ゆうべ、寝ている間中足首が変な方向に曲がったままだったのだろう。熟睡した証 拠。 帰宅してネット友達としばらく雑談。昼食はチャーハン、がんもどき、野菜炒め。

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午後から透析。体重増加は3.1kg。純増は2.7kg。もう少し多いかと思ったが助かった。 美奈さんにも恵子さんにも穿刺に来たF先生にもほめられる。「2.7も増えてほめられるんですかねえ」と言ったら、F先生は「まあ、 人を見てです」と言った。私はほめられて伸びるタイプと判定されているのだろうか。きょうも音楽を持って行った。ブラームス、交響曲2番、 ピアノ三重奏1番。聞きながら少し眠った。途中、美奈さんからいいニュース。先月したCTが、 専門の先生に読影してもらった結果異常が見つからなかったので、6月に予定していた大腸ファイバーは免除となった。CTだけでいいそうだ。 2週間に一度の投薬日。もらってきた薬は11種類に及ぶ。

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19時10分帰宅。勘助は下駄箱の上、あっちゃんは女房に首根っこを押さえられて出迎えてくれた。 勘助は真剣な表情で私を見上げて煮干しをねだる。あっちゃんはそれほど煮干しが好きではなく、削り節の方がいいようだ。夕食は、ご飯、 焼きそば、ポテトサラダ、メンチカツ。19時45分~21時頃まで眠る。勘助は私の横で、あっちゃんは私のベッドの上で寝ている。 どちらかというと勘助の方が甘えん坊で、いつの間にか私に近づいてきて体の一部をくっつけてくる。 あっちゃんは残念ながらまだそういうことはない。

冬の夜を猫を撫でたり叱ったり (nabesan)

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2009/01/06

猫二匹離れずに寝る寒の入

きょうは5時に起床。勘助は静かに私の腕を枕にして寝ているのだが、あっちゃんがねえ。枕元に飛び降りるし新聞紙でがさがさ遊ぶし、 とても寝ていられないのは勘助も同じであった。外は晴れている。寒いがこの時期として十分に寒くはない。朝食は、七草がゆ。 女房が1日間違えた。なあに、ささやかなことである。女房はアルバイトを一つ増やしてゴルフ場の草取りなどに出掛けた。 女房を働かせてぼやぼやしている夫を「髪結いの亭主」という。私の収入は障害年金だけで、彼女のアルバイトは生活のために重要である。 それは認める。

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(甲府市。山梨県で一番渋滞する交差点から)

9時半頃家を出て、あいちゃんのおじいさん(母方)の葬式に行った。家から車で約1時間半くらいかかった。一応「遺族控え室」 に通されてヒヨリとヒナと遊んでいた。かなり偉い人だったらしく気後れするほど大きな葬式だった。昼食はメロンパンと牛乳。帰り、 山梨県腎臓病協議会の事務所に寄った。腎臓病や難病の対策をしっかりやってくださいという署名簿を届けた。3月頃国会に提出する。 受け取る議員には、姫井由美子参議院議員も含まれる。16時頃帰宅。少し休んで、17時過ぎに今度はお通夜に行く。夕食は焼きそば。

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(前があっちゃん、後ろが勘助)

猫二匹離れずに寝る寒の入 (nabesan)

夜、「ぴったんこカンカン」の浜口京子親娘を見ながら少し眠る。浜口京子は割と可憐でいい印象を持った。21時から 「教育テレビの逆襲」を見る。面白かった。爆笑問題と糸井重里が中心で、加山雄三とか立花隆とか豪華なゲスト。 糸井重里は日曜の吉本隆明の番組(ETV特集)にも出ていた。 赤城山麓の徳川埋蔵金探しからいつの間にか教育テレビの常連になったのだろうか。あっちゃんと勘助。今はくっついて寝ている。夜、 水分を摂りすぎてしまった。いやだねえ、どうせ飲んでしまうのに、カップを口に運ぶたびためらうのは。 それに水を飲むときには薬を飲むからとか、うがいだけだからとか言い訳を見つけようとする自分を見なければならず、 しかも必ず飲んだことを後悔する。水を飲むのは哲学することである。

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2009/01/05

一仕事せしにきっぱり寒さかな

ゆうべは0時ごろ薬なしで眠ったのだが、2時頃に目が覚めた。時々あるのだが手の指と指の間が左右とも痒い。 指を組み合わせてごしごし擦るがだめで、下へ行って冷たい水で冷やしながら洗った。3時過ぎに寝直したが、今朝は5時半に起こされた。 それというのも、おじいさんがベッドから下りようとして床にしゃがみ込んでしまい、 動けなくなっているのが女房によって発見されたからである。彼は足の力がとても弱いのに上半身は太っているので、 食堂にある椅子やベッドより低いところにお尻が落ちてしまうと自力では立てない。今回は床からなので途方に暮れたが、 とりあえず私が渾身の力で少し持ち上げ、そこへ素早くお風呂で体を洗うときの椅子を入れて座らせ、それから「自分でも立つ気になれよな」 と叫びながら二人がかりでようやくベッドに座らせた。体が思うようではないが食欲だけはある高齢者と同居していると、 家族愛だけではどうにもならぬことがよくある。施設は3年前に申し込んであるが順番は来ない。近い将来うちでも「老老介護」 になることだろう。私は朝から不機嫌になったが、寒いのは忘れていた。

一仕事せしにきっぱり寒さかな (nabesan)

きょうは、朝のうちはっきり曇り。ただ、雲の隙間に青空も見えた。食欲がなかったが薬も飲まなければならないから、 朝食にゆうべ作ってあったおでんだけ食べた。大根、厚揚げ、はんぺん、がんもどき、など。9時頃から「富士川クラフトパーク」 へ行って約45分歩いた。カメラにSDカードを入れ忘れて写真は撮れなかった。帰宅して入浴と昼食。メロンパン1個、 カロリーメイトブロック400kcal分。

午後から透析。体重増加は4.5kgだった。どうにか5.0kg以下だったのでほっとした。美奈さんや恵子さんには多少ほめられた。 2日空きとはいえ4.5kgも持って行ってほめられるのは私くらいである。600g残したが、今週中には清算できるだろう。 穿刺は久しぶりに鈴木君で、2本で済んだ。それから行方不明になっていたiPodが出てきたので音楽を持って行って透析中に聞いた。 表題のあるものを4曲。「狩」「未完成」「大公」「ロマンティック」。狩の3楽章目から未完成の1楽章の間は眠っていた。透析中、体 (特に手)が痒かった。保冷剤や氷を貸してもらって冷却した。左手が使えないから右手が痒くなるとどうしようもない。

19時前に帰宅。夕食は、ご飯、おでん、非常に良く焼けていて口の中でガリッというハンバーグ。食後来客。8時頃から頭痛。 いやいや客の相手をしたからだろう。ロキソニンを1錠飲んでみた。勘助。今はこたつから出てきて私の横で丸くなっている。 ホットカーペットのせいかこたつから出てくるときに背中を撫でたら静電気が起きてピリッとした。あっちゃん。現在は下にいる模様。 ゆうべ正月飾りのテーブルに置いてあったガラス製の花瓶をひっくり返した。朝、お前がやったんだろう白状しろと言ったが知らん顔をしていた。 禁煙パイポ。さっきうっかり火を点けてしまった。箱の「使用上の注意」には、ちゃんと「火を点けないようにご注意ください」と書いてあった。 そういえば、「横山ホットブラザーズ」。おとといだったかNHKの番組に出ていた。年を取った。アコーディオンの白鍵が黄ばんでいた。 今は教育テレビの特集番組を見ている。それというのも、司会が江崎史恵(しえ)アナウンサーだからで、私は「夕どきネットワーク」 のころから彼女のファン。私の年齢からいうと、こういう娘がいれば毎日楽しいだろうなと思う。

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2009/01/04

痛恨の手順前後や冬の庭

目覚める前に見た夢。私は槍を持って、刀を構えた相手と対峙している。にらみ合いが続いていたが、 私が槍を突き出す仕草をすると相手は横に逃げるので私も動いて相手と正対する。それを何度か繰り返しているうちに、 相手は降参してどこかに消える。そのあと私は、誰かに得意げに、刀より槍の方が強いんだよ、 正対して槍を突き出している限り相手は前進して来られないからね、と説明しているところで目が覚めた。正月から槍だの刀だのと物騒だが、 相手を刺すようなことがなくてよかった。

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きょうは6時少し前に、勘助の「ふみゃー」という声で目が覚めた。 声の方を見ると洋服を吊してあるラックの裏側に入り込んでうまく出られなくなっている。救出しようとした時、自力で脱出してきた。 最近には珍しく東の空には鈍色の雲があって、その周縁が後ろからの太陽光に真っ白に輝いている。朝食はバターロール2個、マーガリン、紅茶。 午前中、ある理由によってトイレ通い。大腸を30cm短くしたというのは結構あとあと大変なものである。10時20分から将棋NHK杯。 鈴木大介-行方尚史戦。古典的な四間飛車の駒組みから始まって、鈴木優勢かなと思っていたらあっさり行方の勝ちになった。

痛恨の手順前後や冬の庭 (nabesan) 

昼食はカップラーメン(麺づくり)とご飯少々。「麺づくり」は4分待たねばならない。で、問題は、 いつをもって4分の始まりとするかである。熱湯と麺とが触れあった瞬間からなのか、麺がお湯でほとんど覆われた時点なのか、 カップの縁から15mmほど下に刻まれた線のところまで熱湯を入れた時なのか、それとも蓋をして食べる直前に入れるスープの袋を乗せた時か。 それでまあ、私としては、熱湯と麺が触れあった瞬間が始まりだろうなと結論した。それと言うのも、生コンクリートの練り時間というのが、 ミキサの中で水とセメントが触れた瞬間を始まりとしているからである。「麺づくり」は、さすがに「4分待て」と偉そうに言う分おいしかった。

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トイレ通いが落ち着いて来たので、13時頃から「富士川クラフトパーク」へ歩きに行った。 とても暖かくて小さな子どもを含む家族連れが多かった。「多かった」と言っても、ふだんほとんど人がいないのだからたかは知れている。 オオイヌフグリの写真をかま猫さんが載せていたので、 それを探しながら1時間ほど歩いたが見つからなかった。なんだか、山梨が群馬に負けたようで悔しい。帰宅したらヒヨリとヒナが来ていた。 「あのね、ずーとあっち行ってね、こっちに曲がったとこの公園へ行ってきたの」。少し遊んだ。15時30分~17時30分の2時間眠った。 このごろ、睡眠が不安定でいくらか寝不足だった。

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(白・ヒナ、ピンク・ヒヨリ)

夕食はご飯、肉じゃが、ほうれん草の油炒め(卵)、けずり節(醤油をちょっとたらした)。夜、きょう届いた『週刊朝日』1/ 16号を読む。いつもは平成教育学院を見るのだがきょうはスペシャルで、ビートたけしが出てくるので見なかった。最近、彼は汚くなった。 全盛期を過ぎて巨人、オリックスでくすぶっていたころの清原みたいである。まあ、 観客動員という点で失敗が続くの映画の費用を稼ぎ出さなければならないという事情もあるのだろうが、「世界のキタノ」 をちらつかせながらでは面白いはずもない。で、週刊朝日の記事のメインは皇室と経済問題である。 テレビの連続ドラマの脚本を12年ぶりに書いた山田太一はインタビュー記事で次のように述べている。

すべてが自分の努力というか自由意思でなんとでもなると思うのはとんでもないことだと思うんです。 たとえば容貌や家族を自由意思で選べるとしたら全部自己責任になり、それだけでヘトヘトになってしまう。 つまり私たちは自分ではどうにもならない宿命性みたいなものに縛られているし、それに救われてもいるんですね。運不運も大きい。 今の日本が長寿国であり、ほとんど餓死者を出さないですんでいるのも、かなりの部分はラッキーだったということでしょう。 もちろん日本人の努力を否定はしませんが、それくらいに思っていたほうがいいとぼくは思うんですよ。

いま、私や他の人がどのように生きているかは「宿命性」とか「運不運」とかによるものだ、ということだろう。そして、 いまこうして生きているというのは、案外ラッキーなことなのかも知れない。林真理子の対談は、日本共産党・志位和夫委員長がゲスト。 共産党の入党費は300円で、党費は収入の1パーセント(自己申告)だそうである。もちろん、党員になればその他に「赤旗」の購読や、 幹部が書いた本などを買う必要はあるので実際にはもっとかかるし、活動はしなければならないけれど。嵐山光三郎の連載「コンセント抜いたか」 では、アラフォーという言葉に食いついている。70歳前後は「アラセブ」、60歳前後は「アラカン(アラウンド・還暦)」、50歳前後は 「アラゴジュ」、そらから90歳前後は「アラソツ(卒寿から)」と言っている。私は、向こう4年くらいは「アラカン」である。というわけで、 今週の週刊朝日は充実しているので、機会があればご覧下さい。

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2009/01/03

初富士や未来とはまあ明日のこと

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(きょうの富士山、手前は本栖湖)

初富士や未来とはまあ明日のこと (nabesan)

きょうは5時半頃起床。勘助は私の右腕にあごを乗せて、あっちゃんは布団の中にもぐり込んで丸くなっていた。好天で寒さも緩い。 朝食は雑炊。みそ汁をすくうお玉3杯分。箱根駅伝を見始めたが、山梨学院はあまりテレビ画面に現れない順位だし、9時頃から 「富士川クラフトパーク」へ行った。歩きぞめ。ゆっくり1時間歩いて、富士川ふるさと工芸館で開かれていたアマチュアの写真展を見てきた。 前にどこかで見たことがあるなあという写真ばかりで、どきっとするようなのはなかった。おばあさんが撮ったスナップ写真があって、 そういうのは妙に新鮮。そのあと、ついでに富士山の方を回ってきた。上の写真は本栖湖からで、富士山の展望スポットは人でいっぱいだった。 ディーゼルの大型車が少ないせいか、いつも中腹に棚引いている靄のようなスモッグがない。富士山麓も寒くはなく、 途中にある観光牧場は車で一杯。ソフトクリーム売り場に行列が出来ていた。

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このような晴天で、葉を落とした木々の幹も枝も日差しを受けて光る。桜の開花は遅れるかも知れないなあなどと考えながら歩いた。 桜には寒気が必要だそうである。まあ、夜は一応寒いからいいか。昼食は日本そば。今のところ懸命に水を飲むまいとしているが、 きょうハタと気づいた。今頃なんだと言われそうだが、私の場合、体重管理とは透析から透析までの間に体に入れるもの(食べ物や飲み物) の重さを管理するということなのだ。で、ざっと計算するとすでに昨夜から今までに2.0kg程度は摂取していることがわかった。これでは、 月曜日の透析前に乗る秤に(58.0+3.9)の数字を表示させることはほとんど不可能。というか、 明日どのような食生活をするかに、月曜の美奈さんが天使になるか魔女になるかがかかっている。というわけで、明日しっかりやろう、 腹が減ってはいくさはできないので、今はヤマザキの「たっぷりクリームドーナッツ」というのを食べている。手に持つとずっしり重い。

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薄の羽毛が次々と飛び立っている。池に落ちたり蜘蛛の巣に絡め取られたりして、今年の秋、 西日に光る穂を出せるのはたくさん飛び立つ中のほんの一部だろう。

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サザンカの生け垣の、一番土に近いところの葉が一枚だけ、込み入った枝葉をくぐり抜けた光を受けていた。自慢するわけではないが、 こういうことを発見できるのは、きわめて歩くのが遅い私ならではである。松野明美が自分の子がダウン症であることを公表しながら 「人それぞれのペースでゴールを目指せば良いと、この子に教わった」と言っていた。 人はそれぞれ別々のゴールに向かって別々のペースで歩いている。その言葉に頷くことは簡単だけれど、事実を受け入れて、 心の指針がプラス側に振れるようになるまでには、松野にも葛藤があったことだろう。様々な悩みや苦しみを経てようやく顔を上げた人の言葉は、 案外簡明である。

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というわけで、午後は新聞を読んだり、猫の体育の時間をした。 あっちゃんは体育の時間が大好きで飽きもせずジャンプしては転げるを繰り返すが、勘助は不良中学生みたいで、 目の前にひもを持って行った時だけうるさそうに反応するばかりである。夕食はご飯、やっぱりお節料理。 おせちはきのう初めて食べたのにもう飽きたような気がする。なければないで物足りないのだけれど。箱根駅伝。 山梨学院は危ないところで10位以内を確保して今年の予選会を走らないで済むことになった。優勝は東洋大学。 不祥事があって川嶋監督が辞任したが、間違いなく川嶋が作ったチームである。たぶん、また復帰するのだろう。放送は、 どうも早稲田偏重のような気がする。

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富士山を見に行った帰り、必要なものがあってドラッグストアに寄った。つい「禁煙パイポ」を2箱衝動買いしてきた。 1箱3本入り281円は高い。「レモンライム味」と「フルーティ味」で、前者はちょっとたばこっぽい味がする。くわえていると、 視野にたばこ状の白い棒が見えるのでそれだけでもちょっと落ち着くけれど、これですっぱり本物のたばこと縁が切れるとは思えない。ただし、 本数は減るかも知れない。透析中にも使えるが、こんなのくわえて透析してたら馬鹿みたいだし、それに、 この点は私の偉いところだと自負しているが、吸ってはいけないところではたばこが欲しくならない。テレビで見たことがあるが、もっと精巧な 「電子たばこ」なるものもあって、そちらは煙(実は水蒸気)が出たりする。値段が18000円だと言っていた。まあ、 たばことおさらば出来るという保証がつくなら安いものだが・・・。

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2009/01/02

冬空へ匙投げるほど馬鹿でない

きょうは6時半に起床。朝の事情はきのうと同じで、猫たちが私の右腕にあごを乗せて寝ていた。いいお天気で、 しかも空気が冷たく澄んでいるから、見えるものはみんな輪郭がくっきりしている。私は体調が良くなっているのをはっきり感じながら、 朝食にお雑煮を食べた。切り餅1個、なると、青い葉っぱ。この家、というかこのあたりのお雑煮は餅を煮込んでしまうが、 私はそのベタベタ感が苦手で、私の母がそうしていたように、お吸い物の中に焼いた餅を放り込む。8時からテレビで箱根駅伝。 山梨学院は4区まで順調だったが5区で失敗して往路5位だった。山梨学院大学がほかとちょっと違うところは、 山梨県民全体が応援しているということで、みんな「学院の駅伝」といって誇りにしている。まあ、高校のいい選手は、 山梨学院と早稲田から誘われればだいたい早稲田に行くだろうから、その中でよくやっていると思う。途中ガソリンスタンドに行ってきた。 ガソリンと灯油。

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10時頃息子とヒヨリとヒナが来た。二人ともご機嫌がよろしい。あいちゃんは仕事だそうだ。11時頃、沼津市の親類が2軒、 総勢6人でやってきた。中にヒヨリとヒナと同い年の女の子がいて、結構3人で元気に遊んでいた。写真は向かって左から、ヒナ、ヒヨリ、 ルカちゃん。ルカちゃんは義父の妹の息子の娘という関係で、どういえばいいのだろうか。昼食はテイクアウトの寿司。にぎり寿司を5個食べた。 それから入浴。

午後から透析。本日の体重増加は3.3kg、前回終了時からの純増は3.5kgだった。前回は200g余分に除水出来ていたので、 それは私へのアドバンテージで、従って体重増加は3.3kgであると主張したが美奈さんにきっぱり退けられたうえ、月曜までの体重増加を3. 9kg以内にしなさいと厳命された。理想に対して現実が取る位置の乖離という問題について若干の考察を述べて、年長者として彼女を諭したが、 それも却下。穿刺は看護師のSさんで2本だった。というわけで透析の話でふざけられるようになったのは体調が良くなった証拠。

透析中、テレビで「世界のSL」みたいな番組をやっていて、ドイツ、ニュージーランド、台湾のところを見た。台湾のところで、 今そこで観光用に使われている機関車と同じ種類ということで、日本の足尾線の古い映像と、現在の真岡鐵道(昔は真岡線)が映し出された。 両方私にとっては懐かしい。足尾は実母の故郷で、小さい頃は時々行った。足尾線(今はわたらせ渓谷鉄道)の終点は間藤(まとう)という駅で、 母方の祖母が住んでいたのはその駅のすぐ近くだった。ただ、間藤は旅客の終点で線路は祖母の家のすぐ裏を延びて銅の精錬所まで続いており、 時々列車が通過した。真岡鐵道の方は、高校時代の3年間を毎日乗った線路。SLが走っていたのは小学校高学年のころまでで、 最後の数年は貨物専用だった。川で遊んでいると、馬のいな鳴きのような汽笛が聞こえて、それから「平(たいら)」 という集落を抜けた蒸気機関車が急なカーブを曲がって姿を現す。子どもたちはそれが貨物列車であっても手を振る。 うまくいけば短い汽笛を鳴らしてもらえる。真岡線で蒸気機関車に乗ったという記憶はないが、小さい頃必ず乗ったはずである。 初めてディーゼルカーが走ったときみんなで感動して見た覚えはある。 あのころはSLなんぞうるさいし臭いし煙たいし早くディーゼルカーにならないかなと思っていて、当時の村長あたりが、 国鉄にSLからディーゼルカーへの転換を陳情したのではなかったか。あるいは、エネルギーについての国策が石炭から石油へ大転換した時代の、 地方鉄道の小さな変化だったのかも知れない。

19時頃帰宅。夕食は、カレーチャーハン、昼の残りの寿司、ほうれん草、梨、伊達巻き、黒豆。量が多すぎた。早くも危うし3.9kg。 急に正月っぽいものがあるのは、 きょう寿司を買いに行った女房が安くなっているのを確認しておせち料理の小さなパックをいくつか買ってきたのである。ほかに、小魚の佃煮、 昆布巻きなど。やはり「食いたくねえや」と思っていても、残って食べきるのに難儀したりしても、正月にはおせち料理があった方がいいようだ。 私は伊達巻きが一番好きである。夜、NHKBSでフォークソングを放送しているので見ている。今は岡林信康が歌っている。前に一度見た番組。 私は、かぐや姫あたりになればもう「くだらん」と言ってはばからない世代。 フォークソングというのはメッセージ性みたいなものがないと面白くないと思う。そう考えると、今はフォークが60年代後半に、 リニューアルしながら回帰すべき時代である。勘助とあっちゃんの写真を2枚。

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あっちゃんがずいぶん大きくなった。なんだこりゃ俳句を一つ。

冬空へ匙投げるほど馬鹿でない (nabesan)

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2009/01/01

元旦の朱より青へと移る空

謹賀新年。

きょうは6時頃起床。目が覚めたら勘助とあっちゃんが大小の顔を私の右腕に乗せて一緒に寝ていた。寒い朝で、「二人」 が出て行っても7時頃まで布団の中にいた。外を見たら、かすかに朝焼けの朱が残っていて、折り重なる山々の輪郭もはっきり見える。 7時半頃家を出て、8時から集落の「新年互礼会」に出た。年々出席者が減り続けている。最近、こういう集まりでも酒は出さないので、 割合すんなり終わる。酒の代わりに、缶ビール1本が配られる(歩いてくれば飲んでも良い)。9時半頃帰宅したら弟の家族が来ていた。 けさ3時に起きて身延山奥の院に行き、日の出を見てきたそうだ。ご苦労なことである。 身延山では正月はこうしたご苦労な客のために4時半からロープウェイが動く。人で一杯だったそうだ。朝食はコンビニのカレー。 その後ネット友達としばらく雑談しながら実業団の駅伝をテレビで見ていた。今年から外国人が走る区間が限定されて、 しかも8キロしかないから混戦になった。レースとしては面白いが、実業団だし、外国人の区間を限定するのはどんなものかと思う。 自分たちは世界に通用しないと言っているようなものだ。実際そうなんだけど。陸上競技界がだんだん内向きになって、 世界に出て行こうというより、テレビ放送のある駅伝に力を入れるのは残念である。冬季は本来、 長距離ランナーにとっては基礎力をじっくり鍛える期間で、その期間にピークを合わせてレースをするなんて間違っている。 日本の長距離をだめにしているのは駅伝である。

そのあと、サッカーの天皇杯決勝。いい試合だった。ガンバ大阪は強い。昼食にサッカーを見ながら菓子パンを1個食べた。 サッカーのあとしばらく眠った。勘助は私がいつも座っている座布団の上で、あっちゃんは私がかけている布団の縁でそれぞれ丸くなっていた。 夕食は、コンビニのオムライス。夜、19時からウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。今年の指揮者はダニエル・バレンボイム。 私くらいの世代はどうしてもさっそうとした若手天才ピアニストのバレンボイムを思い浮かべるが、 頭もすっかり薄く白くなってそれなりの年になっている。このコンサートは日本でちょうどいい時間に始まるし、 生中継という緊張感もほどよくあって毎年楽しみにしている。そういえば、ウィーン・フィルというのは男性楽員だけだったような気がするが、 ちゃんと女性もいた。まあ、男じゃなきゃだめ、とは言いにくいご時世になったということだろう。

このようにして私は、まあ、感じとしては「12月32日」ともいうべき「1月1日」を送った。 やはりお雑煮は食べないといけないなあと思った。なぜか女房に作る意志が全くなかったようだ。

元旦の朱より青へと移る空 (nabesan)

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